| :58 ~お金と精神は密接な関係にある。日本は、精神戦において敗北していた~ ビルマの桃太郎こと、穴吹智陸軍曹長は、大東亜戦争の初期において活躍した英雄だ。僚機のことを「イヌ」「サル」「キジ」と呼び、赤鬼たるイギリス人の乗る戦闘機と戦った。 いわゆる「撃墜王」と呼ばれる人物であった。 日本軍のイメージは、歩兵の印象が強い。しかし、日本軍は欧米と同様に近代化された軍隊であった。比較するならば、第二次世界大戦の中期まで複葉機を第一線で使っていたイギリス軍に対して、日本軍は遙かに近代的だった。 その日本軍において、戦闘機乗りは華やかな地位だった。愛機にまたがり、高度6000メートルで戦う。陸軍報道部が、国民の戦争参加意欲を鼓舞するために、日々宣伝をしていた。 英雄はたくさんいた。そして、英雄は宣伝され、戦意高揚に役立てられた。 ここまでは、アメリカやイギリスと同じだ。しかし、米英はここからが異なる。 硫黄島の戦いにおいて、擂鉢山に星条旗をかかげた兵士たちの姿が、報道写真として全米に発信されると、直ちに米陸軍は兵士たちを戦地から本土に呼び出し、全米ツアーの予定を組んだ。 ツアーの目的は、「戦時国債を購入してください。戦地では、僕たちと同じ多くの兵士が、戦うための武器弾薬を必要としています。平和とアメリカのために、戦時国債を購入してください!!!!」。 アメリカやイギリスは、英雄と呼ぶに相応しい業績をあげた軍人が出現すると、ただちに本土に引き上げさせて、戦時国債の営業マンにした。 英雄が戦地で敵と戦うよりも、本土に帰国して戦時国債の購入を呼びかけた方が、よほど戦争に貢献するからだ。 これに対して日本は、英雄として報道するが、決して戦地から引き戻すことなくそのまま結局、戦死したり負傷するまで戦わせた。 「この人が英雄だ」と宣伝をうけ、その後に英雄が戦死したことを知った国民の心は、どのような気持ちになるだろうか? これが、敗戦国と戦勝国の境界線だ。 戦争とは、国家予算で武器弾薬を国内企業に発注し、購入する。そして、国内企業は、政府からの受注に応えるため、大量の労働者を雇用する。雇用された労働者には給与が支払われるため、そこから政府はまた徴税して、再び武器を発注する。この繰り返しによって、経済が円滑になる。本土を攻撃されて、工場を壊されない限り。 戦時国債は徴税よりも良い。国民の冨が、愛国心によって更に政府に還元される。その利率を考慮したとしても、利潤がある。 だからアメリカは、戦争で活躍した英雄は、ただちに呼び寄せて、国債販売の営業マンに任命した。日本は、英雄を死ぬまで戦地で働かせた。そして、英雄が戦死したことを国民は知る。 「冨」とは人間の精神がつくる。人間の労働意欲を刺激する「何か」によって人は働き、それが結果的に製品や証券の価値をつくりだす。この「何か」は、愛国心であっても、個人的欲望であっても良い。 ただし、個人的な欲望よりも、愛国心のほうがより人は動く。だからこそ、「英雄」は経済にとって大切だった。 アメリカは1929年以来、建国以来の大不景気を迎えた。莫大なインフレーションが発生し、ついには「2万ドル札」になる高額紙幣まで発行する始末になった。 不況とは、有価証券に含まれていた「冨」がなくなることによって発生する。そうなると、人々は活動意欲を失い、労働意欲や購買意欲も損なわれるため、経済が停滞してしまう。 アメリカの民主党は、いわゆる「ニューディール政策」を実行したが、連邦最高裁で「社会主義的である」と否定され、また効果がなかった。 ケインズ理論のいう、公共事業によって人為的に仕事をつくりだし、そこから経済復活の橋頭堡にする計画だったが、うまくいかなかった。 やはり、「働く意欲」というものが無いからだ。 ケインズ理論は数理的に偉大な指針であるが、人間の労働意欲の根源に関しては、その指摘が欠落していた。 そこで戦争が始まると、ナチスの悪行や日本軍の「低俗ぶり」が、民間の報道機関を通じて、米国民に浸透する。 「アメリカが何かするべきではないのか?」と、19世紀以来の孤立主義(モンロー主義)を放棄するかのような気運までつくられた。 そこで、真珠湾奇襲のような大きなイベントが起きると、その敵愾心が労働意欲に変換される。人々が「働きたく」なるのだ。 こうしてアメリカ政府は、シャーマン中戦車はコルセア戦闘機などを大量に発注し、政府の注文をうけた各社は、多くの労働者を雇用する。 平時ならば、「お前らが食っていくために働いているだけだろ?」と、経営層から侮蔑的扱いをうける下級労働者に対しても、「今あなたがつくるネジは、戦地に送られる戦車の部品です。あなたはアメリカのために働いているのです」とおだてることができる。 正規空母「エセックス級」は毎月1隻ずつ造船され、「月刊空母」のあだ名を得るに至った。 そうなると、下級労働者でも愛国心によって労働意欲が刺激され、いつもより多めに働く。サービス残業をさせられても文句を言わない。そこで労働組合が何か言えば、「非国民め」と白眼視される。 こうして、アメリカは1944年には世界恐慌から脱出した。 一方で日本は、1944年には国家予算の88%が軍事費となり、児童まで労働者として扱い、小学校の庭を芋畑に開墾し、女子中学生には飛行機のエンジンを作らせた。 この時期の「恨み辛み」は、今日においても語りぐさになっている。貧困と飢え、そして強制労働。 どれも国民の精神力は低下していた。アメリカのように「今、自分たちが戦争を担っている」という喜びはなくなっていた。挙げ句の果てに、あってはならない本土攻撃もされ、工場に動員(ただ働き)をさせられていて女子中学生が、空爆で殺害される。 労働意欲は無いに等しくなった。こうなれば、製品の粗悪品も横行し、末期状態になる。こうして、負けるべくして負けた。 日本軍の数がアメリカ軍よりも勝っていたミッドウェーの戦いを見てもわかるように、日本は物量で負けたことはない。精神戦において、そもそも敗北していたのだ。 冨とは人の心がつくりだす。心が貧しいからこそ、冨を生み出せず、経済もまわらなくなる。高性能の兵器もつくりだせない。 一方で、アメリカは、有色人種を「ダシ」につかい、見事に世界恐慌から脱出した。 我が国の「心の貧しさ」が、現在どの程度かわっているのかわからないが、まだまだ雲行きは怪しそうだ。 |